神は愛 であり

神は愛 であり

不安を取り除き、全き自由と真の平安を見つけるには 無条件的に愛される神様の愛を受け入れることが大切。

今日の社会は、不安の中にある人々による疫病が生じている社会であると言えるでしょう。多くの人たちにとって自己の存在意義がわからず、間違った価値観の上に自己の価値を置こうとしています。彼らの行い、彼らの見られ方、知られ方―すべてのことが間違った価値観の上に基づいて判断されています。

あなた自身についてはどう思いますか?あなた自身についてどのように感じていますか?他の人と自分を比べて、他の人ができて、他の人と同じようにできない自分に対し自虐したりすることはありませんか?『彼女のようなルックスになれたらいいのに』とか『彼らが持っているものと同じものを私も持てたらいいのに』『あなたと同じことができればいいのに』と思ったことはありませんか?

人は皆時に不安を感じながら生きているものです。私自身も、他者と比べて劣等感を感じたことがありましたし、私自身の存在について不安を感じたこともあります。

私自身が、不安定で安心感の感じられない家庭環境で育てられました。子ども時代、自分の家庭で本当に安全と感じられる居場所を見つけられることはありませんでした。だからこそ今私は生活の中で安心と安全が感じられることがとても重要だと感じているのです。

神様は、私達が恐れを感じる生き方から抜け出し、大いなる平安を感じてほしいと願われておられます。私たちは安全なところで安心感を感じ、自信を持って大胆に行動できるように創造されました。キリストにあって新たに生まれた者として、私達の霊的なDNAの一部がそのような生き方を形成しているのです。キリストにあって平安に満ちた生活を送るには、「キリストにある自分」を知ることが大切です。そしてあなたに対する神様の愛を本当に受け取り、あなたが神様に対して何ができるかを基盤に置くのではなく、神様があなたをどのように思われているかにあなたの価値の基盤を置くことが大切です。

「あなたを攻めるために作られる武器は、どれも役に立たなくなる。また、さばきの時、あなたを責めたてるどんな舌でも、あなたはそれを罪に定める。これ(平安、正義、安全、反対勢力に対する勝利)が、主のしもべたちの受け継ぐ分、わたしから受ける彼らの義である(イザヤ54・17)」という御言葉からこのことに関する啓示を受けることができました。

この聖句ははっきりと神様の子どもたち、僕たちが受け継ぐもの、血の代価で贖われた私達を平安な場所へと連れて来られた私達とイエス・キリストとの関係について述べています。私達はイエス・キリストと共に相続人であり、イエス様が相続するものは何でも、私達も相続することができるのです(ローマ8・17)。

しかし私たちはそれを信仰で、つまり目に見えて分かるようになる前にそれを信じることが必要です。私たちは他人が話すことよりも、自分自身が話すことを信じることができるのですから、消極的な考えや、自分達をキリストにない他者と比較して見ようとさせる世の反対勢力から打ち克つためにも、私達を神様の子どもと見なす聖書の御言葉を私達自身が語る必要があります。

もうひとつ私が受けた大切な啓示は、神様が自分をどんなに愛しておられるかということでした。私が初めて自分のミニストリーにおいて公に説教をしたときの題目が「私達に対する神様の愛」についてでした。

しかしこの題目で語られる内容は、あまり力強く新鮮な内容でもありませんし、人々は既に神様が彼らを愛されておられることなど知っているだろうと思っていましたから、実のところ私はこの様な題目の説教を行いたいとは思いませんでした。しかし主が私の心に「多くの人々がいかにわたしが彼らを愛しているのか理解していないのだ、もし理解したなら、これまでの行動の在り方とは全く異なる行動をするようになるだろう。競争に固執することなく、他人と比較することもなく、もし彼らがわたしの愛の中で本当の平安を感じているなら、過去の過ちや自分たちの弱さを認めるのを恐れることもなくなるだろう」という思いを託されたのです。

第1ヨハネの手紙4章18節には「愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。なぜなら恐れには刑罰が伴っているからです。恐れる者の愛は、全きものとなっていないのです」と書かれてあります。

この御言葉が私の目を開かせ、「私もそのような人たちのひとりであった」ことに気づかされました。 そのため次の一年間、私の開く聖書講義の内容を「神様の愛」に焦点を当てることに決めました。その間神様が無条件的に私を愛され、私を受け入れてくださるのだという個人的な啓示を受けることができました。

「神様が私を無条件的に愛して下さる」という啓示を受けることで、私の価値というものが私の行いに置かれているのではなく、神様の子どもであるという事実の上に置かれていることを理解するようになりました。この理解がとても重要です。なぜならもし神の愛というものが私達の行いやどれだけ良く振る舞えたかを基準に置かれているものであると理解するのならば、神様との関係性の中にあって決して真実なる意味で平安を得ることはできないからです。

ときどき、私は自分自身が「ジョイス・マイヤー・ミニストリーズ」なのではないということを改めて思い起こすようになりました。「神様の子どもとしての自分」という存在は、神様にとってこのミニストリー以上の存在なのです。ですからもし神様がたとえ私に「このミニストリーにこれ以上関わらないように」と言われるのであっても、神様は今の私と同様に「私自身」に価値を置かれ、重要とみなされておられるからこそそのように言われるのだと信じています。

同じことがあなたにも言えるでしょう。生活のためにあなたが何をされていようとも、あなたが独身であろうと既婚者であろうと、お子様がおられようとそうでなかろうと、教育を受けていようとそうでなかろうと、裕福な家庭であろうと貧しい家庭であろうと、神様にとって他のすべての人たちと同様にあなたが重要な存在なのです。私達は皆平等に神様の御前で価値ある存在なのです。

「神は愛」であり、神様は本当に「あなた」を愛されておられます。毎日のあなたの生活の中で、神様の愛を感じていただけることをお祈りいたします。そうすれば神様があなたのためにご計画された平和と喜びと真なる平安に満ちた生活を送ることができるようになるでしょう。

 

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