罪の重荷から解放されるには

罪の重荷から解放されるには

自分の感情よりも神の愛に信頼を置くことが大切

 

私自身罪に関してはたくさんの問題に包まれてきました。自分の犯してきた罪の重荷のことでどれだけ苦しんだかわかりません。本当に大変な経験でした。いつも朝起きてはすぐに寝る時間になってほしいと願っていた日々がありました。なぜなら私の頭の中が「あなたはこれをしなかった。こうするべきだったのに・・こうするべきではなかっただろう・・もっと良くやるべきだったのに、また同じことを繰り返した。あなたが素晴らしくなることなんてあるわけがない。あなたが他人に説教なんてできる立場だと思うのか?」というような私を非難する声でいっぱいになっていたからです。

このような自責の念に苛まれていた時期は、本当に大変な時期でした。しかし現在は、このような自責の念から抜け出て完全に自由の身となったことを正直に告白することができます。とは言いましても、以前のように神様の御前に間違ったことをひとつもしないようになったわけではありません。しかしイエス様が私の罪の赦しのため、恐ろしい罪の重荷が私の日々の生活を巣食う事から解放させるためになさってくださったことに関する真実を理解するようになり、私の姿勢は転換するようになりました。

私の犯した過ちについて健全に嘆き悔い改めることは良い事ですが、ただその事について罪悪感を感じてばかりいるのは良くないことだと気づくようになりました。神様の御前に出て、私の行ったことの間違いを認め、そのことに関する誠意ある悔い改めをすることで、神様の赦しを受け先に進むことができます。そして真実の事を言えば、私たちはそのようにすることによって、罪の重荷で押しつぶされそうになりながら生きることから解放されるようになるのです。

神様が私たちに期待されることから離れたと感じることで罪悪感が襲ってきます。罪は考えの中に入り込んできて、悪い感情を形成し、その感情を抱え込みながら人生を過ごすことになります。しかしここで私たちクリスチャンにはより良い知らせがあることを見逃してはなりません。私たちは私たち自身の感情に流されて生きる必要がなく、何を決断するにしても私たちの感情に委ねながら決断する必要もないのです。私たちが聡明であるならば、私たちの感情が神様の御言葉と一致しないとき、神様の御言葉がイエス様が私たちの罪の赦しのために代価を払って十字架にかかってくださり、そのことによって私たちの罪が赦されたと語っておられることを信じるとき、私たちは私たち自身の感情によって左右されなくなります。

第Ⅱコリント5章17節には「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」と書かれてあります。この御言葉から新しく造られる、新たに生まれるということは、私たちがキリストにある者となったことを意味するのだ、私たちはキリストと個人的な、より親密な関係がある存在となったのだと言うことを知ることができます。

この関係性を知ることによって、私たちはイエス様が持っておられるものを共有し、聖霊様が私たちの霊とともに住まうことを知るようになるのです。そのためイエス様の義が私たちの義となり、正しい事を行うイエス様の恵みと強さを共に受けることができるのです。私たちに必要なことは、私たちがキリストの中にある存在であると認識し、イエス・キリストが私たちの罪を赦し、清めるために代価を払ってくださった私たちの代理人となられたお方であることを認識することです。私たちのアイデンティティはもはや「罪人」の中にあるのではなく、「キリストにあって新たに造られた者」の中にあるのです。

私たちがキリストの中にある存在であることへの認識から遠ざける要因となっていることは、私たちがイエス様が私たちのためにどのような事をして下さり、それ故に私たちが神様のためにどう生きるべきかを考えるよりも、自分自身の行いの中にある過ちに注視してしまうところにあります。私たちの過ちにばかり目を向ける考え方から、私たちがイエス様との関係性においてどのように進歩していったかに目を向ける考え方に転換させなければなりません。私もいつも完璧に物事を行えるわけではありませんし、そのような状態にまで辿りついたわけではありませんが、私が今現在言えるのは過去の自責の念に苛まれる自分からは解放され、キリストにあって自由になれたことを神様に感謝できるようになったということです。

もしあなたがイエス様に心を委ね、イエス様をあなたの生活の主とするなら、あなたも同じような状態になることでしょう。そのためにもっともするべきことは、祈りと聖書の勉強を通して神様とのフェローシップにより時間を割き、あなた自身が行ってきた過ちについて考え込む時間を減らすことです。神様により近づくようになれば、より深く正しいことと間違っていることを知るようになるでしょう。そして神様により近づくようになれば、あなたが行うべき正しい事を実践するための更なる強さを得ることができるでしょう。

どうかすぐに神様に近づくことができないとしても落胆されないでください。私自身も、イエス様が私の罪の赦しと罪が清められるために代価を払われたということを本当に心の中で認識し、イエス様の赦しを自分の罪に対するものとして受け入れるのには時間がかかりました。だからこそ自責の念が長い間私を苦しめてきたのだと思います。しかしあなたが忍耐強く神様を模索し続け、御言葉を勉強し続け、神様との関係性を深めようとされるのであれば、最終的に罪に対する非難から完全に自由になることができるようになるでしょう。

「そうは言っても、しかし私はやっぱり罪を犯し続けてしまうままです」と思われるかもしれません。しかし、私たち皆そうなのです。そして神様もそれをご存知です。神様は私たちの自然体の姿を理解しておられ、私たちが学ぶべきことがたくさんあることも理解しておられます。神様は私たちを神様との関係性の中に召されたときの私たちのあり様についてすでにご存知です。それにもかかわらず、神様は実に慈悲深いお方であり、私たちを愛され、罪から自由になり、たとえどんな悪いことをしてきたとしても、神様の御前でそれを誠実な心で悔い改め、神様の赦しを受けることで先に進むように、そのことで神に近づくことができるように促しておられるお方です。

どうか自分の感情よりも神様の愛により信頼を置くようになってください。そして神様にあなたの必要が満たされるように助けを求め、自責の念や非難の声から解き放たれ、平和と喜びの中で生きる生を楽しむ人となっていただけることを願います。

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