救いが本当に必要な他者に福音を届けるために

救いが本当に必要な他者に福音を届けるために

イエス様はナザレの町で公的な使役を始められました。ナザレの町はイエス様が育まれ、親しい友人や家族が共に暮らしていた町です。私達から見れば、この町でイエス様は多くの人々に抱かれ、励ましを受け称賛されたことだろうと想像してしまいますが、イエス様にとってナザレの町での経験はあまり良い経験ではありませんでした。

ナザレの町では、イエス様が要点をついた教えをされることを歓迎し喜んでいましたが、よりイエス様の御言葉が彼らにとって直接的なものとなり、行いを矯正させるような教えになってくるにつれ、会堂で教えを聞いていた人々はイエス様の発言に対して憤慨するようになり、イエス様を殺害しようとするまでに至りました(ルカ 4・28-29)。イエス様はご自身の使役の正統性について敢えて自己弁護なさるようなことはされず、「彼らの真ん中を通りぬけて、行ってしまわれ(同30節)」ました。

次にイエス様が訪れた町はカペナウムでした。この町でイエス様は群衆を前に説教をなされ、奇跡を起こし、人々の中から悪魔を追い払われました。群衆はただただ驚愕し、幸せになり、「イエス様、どうか私達と共にいてください。ここがあなたの居られる場所です」とイエス様がカペナウムに留まられることを懇願しました。周りの人全てが自分のことを愛し、理解し留まることを懇願しているのであれば、普通はその町に留まろうとするでしょうが、イエス様は他にも神の御言葉を聞く必要のある人々がいることを覚え、その町に留まり続けることはなさいませんでした。

ここで学ぶべき教訓があります。イエス様は人々の拒絶や受容の態度にご自身の行動の影響を受けるようなお方ではありませんでした。ただ神の霊に従って行動されていたのです。

あなたが周りの人々に受け入れられている状況であれ、拒絶されている状況であれ、神様にどのように従うべきか学ぶ意欲がおありになるのでしたら、神の御言葉をより必要としている他者へ手を伸ばすために、神様の召命を全うするために神様の御心に沿って活動していくことが大切です。

伝えたい他者があなたのメッセージを拒むときはどうするべきか?

今まであまり状況を変えられたくないと思っている他者に御言葉を届けようと努力されたご経験はありますか?そのような人がしっかりと御言葉を理解できるようになるためには、私たちはその相手に対し、より鮮明に、他のクリスチャンよりも良い「キリストの証人」としていかに御言葉を伝えるべきかと思慮しようとしがちです。そのようにしてこそ他者の御言葉の理解が促進されるのだと思ってしまいがちなのです。しかし正直に真実を言えば、私たちはこのようなとき「偽りの責任の重荷」から解放されることを知るべきなのです。

マタイ10章では、イエス様が十二弟子を派遣される場面が書かれてあります。イエス様は弟子たちに、「もしだれも、あなたがたを受け入れず、あなたがたのことばに耳を傾けないなら、その家またはその町を出て行くときに、あなたがたの足のちりを払い落しなさい(マタイ10・14)」と述べておられます。

この御言葉は今日のクリスチャンにとってどのような意味を帯びているものなのでしょうか?つまり御言葉を伝えたいと思っている他者が御言葉を受け入れたがらない場合、その人のために祈り続けることはできますが、しかしそのような他者の姿勢を変えなければならない責務は私達にはないわけです。

世界は飢えや精神的な傷を受け、神の愛を必要とする人で溢れています。あなたの愛や励ましを与えなければならない他者は他にたくさん存在しているのです。ですからもしあなたが御言葉を伝えたいと思い、どうにか伝えようと固執している他者が福音を受け入れるのを拒み続けるのであれば、そのことにあなたがいつまでも煩わされるべきではありません。ただイエス様が行われたのと同じように行動してください。その人の代わりに他の人に御言葉を伝え、またその他の人も御言葉を拒絶するなら別の人に伝え、そのようにして本当に御言葉を受け入れたいと願っている人に伝えてください。

あなたの存在にあまりに他者が固執してきた場合に取るべき行動

とは言いましても、あなたの生活の中、人生の過程であなたとの関わりを愛し、あなたの考えを受け入れ、あなたを自分から離したくないと思う他者もいることでしょう。あなたの存在やあなたが彼らになしてきたことのために、あなたを自分たちから引き離したくないと思っている他者に対しては、あなたがその人たちの意向に従って側に留まっていることがあなたの信仰にとっての誘惑になってしまいます。なぜなら彼らは神の御心を考えず、純粋に「あなた」について関心があるからです。

もしあなたがそのような小さな円の中に留まり続ける道を選ぶなら、あなたの御言葉を本当に必要としている他者に届けることができなくなってしまいます。その「本当に必要としている他者」こそ神様が私達に焦点を置いてほしい人々なのです。

そのように神様が本当に焦点を当ててほしい他者のために全てのクリスチャンが神様の御言葉に従って行動するようになることで、教会が活性化されることを確信しています。

あなたのための神様の素晴らしいご計画を追求する

もしあなたが大人になって自分の意思でクリスチャンとして洗礼を受けた方であるなら、実際に人々に御言葉を伝えようとされる前に、あなた自身がキリストの中にあってどのような存在と変化したのかを考える時間を持たなければなりません。

そして神様の御言葉を心で知るようになり、キリストにある自分の立場を自覚できるようになられたのであれば、「わかりました。私は神の御言葉の中にある存在で、神の御言葉によって満たされています。今こそ神様が私に下さった恵みを他者に与え始めるときでしょう」と自覚した上で、御言葉を伝えて下さることを願います。そのように決断されることで、ちょうど神様がアブラハムに「あなたを祝福し、あなたを祝福の源としよう(創世記12章)」とされたとおりにあなたにもなさってくださることでしょう。

あなたが教会に行かれるときは、目的をもって行ってください。どのように他者を助け、他者を励ますことができるのか考えてみてください。そしてあなたが祝福することができる他者を捜し、またそのような他者を見つけられるために祈ってみてください。

真実のことを言えば、もしあなたが日常的に他者を助けたい、啓発したい、励ましたいと思って行動し、自分が扱われたいと思うのと同じ方法で他者を扱うのであれば、あなたは今日の世界で最も幸せな人たちのうちのひとりとなることでしょう。

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