他の人を責める

Joyce Meyer

他の人を責める

このことを覚えていてください。あなたがたの生活の中に入り込む誘惑は、別に新しいものでも、特別なものでもないということです。ほかにも多くの人たちが、あなたがたよりも先に、同じ問題にぶつかってきたのです。どんな誘惑にも抵抗するすべはあります。神様は決して、とてもたち打ちできないような誘惑や試練に会わせたりはなさいません。神様がそう約束されたのであり、その約束は必ず実行されるからです。神様は、あなたがたが誘惑や試練に忍耐強く立ち向かえるように、それから逃れる方法を教えてくださいます。
-コリント人への手紙Ⅰ10章13節(リビング訳)

何年も前ですが、あるコメディアンの「魔が差したんだ!」という人気のセリフで視聴者はみんな爆笑していました。なぜ、みんなそんなに大笑いしたのでしょうか?みんなそれが真実であってほしいからでしょうか?自分の行動を他の人のせいにすることによって責任を免れたいのでしょうか?

自分の行動を他の誰かのせいにしたり、状況などのせいにするのはいつでも簡単です。いつでも私たちはこのような声を耳にします。「私のお父さんは私に一度も親切な言葉をかけてくれたことなんかないわ!」「いとこに虐待された。」「僕が古い、ボロボロの服を着ているから、近所から敬遠されている。」「成長していく中で、お金を持ったことがなかったから、今では給料が入るとすぐにお金が出て行ってしまうんだ。」

これらの発言は、おそらく真理でしょう。私たちがなぜ苦しんでいるのかを説明していると思います。ひどい状況であり、人生でこのような痛みを通らなければいけないのは悲しいことです。

それでも、自分の行動や振る舞い方を他の人のせいや状況のせいにする権利は私たちにありません。囚われの身のままでいるための言い訳として使ってはいけません。キリストは私たちを自由にするために来ました。初めに載せた聖書箇所で、パウロははっきりとこう言っています。私たち全員に、誘惑があり、その状況は私たち一人一人異なったものであること。しかし、神様が与えてくれた約束は、状況がなんであれ逃れる方法があるということです。脱出口は与えられますが、私たちはそれを使う必要があります。

今朝のニュースで、ニュースレポーターが火事になったレストランを報道していました。ある女性が裏の出口の見えるところに立っているのですが、動かないのです。6mくらい離れたところで立って叫んでいるのです。彼女の同僚が急いで中に戻って彼女を掴みました。彼女は抵抗しましたが、同僚はなんとか彼女を外に連れ出すことができたのです。

これは時に神様の人々に起きてしまうことではないでしょうか?私たちは脱出口を知っているのですが、体がまひしてしまっているようなのです。もしくは、動けないことを誰かのせいや物事のせいにするのです。もしくはこう考えてしまうのです。「ほら、まただ。こういう状況をうまく処理することを学ばなきゃいけないことはわかっているけど、今回もいつものようにただ負けるわ。今の私はこれを処理するには弱すぎるもの。」

私たちの弱さというのは、私たちの最大の言い訳の一つです。私たちは弱いかもしれません。でも神様は強いです。そして彼は私たちの強さになりたいと思っています。もし私たちが神様を信頼して、必要とされる信仰の一歩を踏むなら、神様は私たちが奴隷から解放されることを助けてくれます。

私たちが理解する必要があることは、悪魔は私たちのどんな状況でさえも、それを使って私たちの人生に要塞を築くということです。悪魔は使えるものはなんでも使います。私たちが弱さを感じているもの、子ども時代からの問題、私たちが12歳の時にしてしまった間違ったものでさえ。もし悪魔が私たちの考え方を暗くすることができるなら、「勝てないだろう」と私たちに考えさせてしまっているなら、私たちの負けです。神様は私たちに霊的な武器を与えていて、私たちはいつも悪魔の要塞を打ち破ることができます。その強さを与えてくれる勝利の神様に私たちは仕えているのだ、ということを自分自身に思い起こし続けてください。

もう一つ。私たちが罪の誘惑に負けるとき、「神様は私を助けることはできないの?」と小さな声で言ってませんか?自分の行動の全責任、または、多くの場合ですが、私たちがするべきだったのにしなかったことについての全責任を、私たちは負いたいと思いません。自分について気を悪くするのをやめて、他人のせいにするのをやめて、現実逃避をやめる必要があります。神様は忠実でいてくれます。いつでも私たちを助けてくれると言い切ってくれている神様のその約束を私たちは信じる必要があります。私たちは恐れの中を生きる必要はありません。自分が抱える問題があまりに大きすぎるといつも感じる必要はありません。私たちは「できる」という態度を持たなければいけません。「するべき時に、するべきことを私はすることができる。」と言うのです。時には、自分の問題を神様のせいにしてしまいたくなる誘惑が来ますが、私たちはこのブログの最初の聖書箇所を思い出さなければいけません。「神様は決して、とてもたち打ちできないような誘惑や試練に会わせたりはなさいません。」

それが神様の約束なのです。神様はその約束をはっきりと言っているのです。神様は決して私たちを見捨てません。私たちを助けないなんてことはないのです。絶叫しながらその場を動かない女性のように、私たちはなることもできます。しかし、「見て!出口があるよ!やった、出口をありがとう!」と言うことを選ぶこともできるのです。

私たちの問題は個人的なものです。そして、大抵は心の問題です。私たちの考え方や態度に影響を与えます。結果として、その考え方や態度が、外側に現れてしまうのです。もし、私たちが自分の考えをイエスの方に向けるなら、もし私たちがイエスの声に耳を傾けるなら、”いつでも”私たちには脱出口があることを私たちは知っています。

天のお父さん、自分の失敗を他の人や周りの状況、そしてあなたを責めてしまったことを赦して。全ての誘惑において、あなたが私のために道を用意してくれているわ。私の考えの中にある悪魔の要塞をあなたが打ち砕いてくれることを信頼しているわ。イエスの名によって、アーメン。

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