Joyce Meyer
Joyce Meyer

信じる決断をする パ

愛する皆さん。あなたがたの人生は、多くの困惑と誘惑に満ちていますか。そうであれば、喜びなさい。行く道の険しさは、忍耐を養う良いチャンスとなるからです。忍耐力を十分に養いなさい。さまざまな問題が持ち上がった時、そこから逃げ出そうと、もがいていけません。忍耐力が十分身につけば、完全に成長した、どんなことにもビクともしない、ねばり強い性格の持ち主になれるでしょう。 -ヤコブの手紙1章2-4節(リビング訳)

信仰が試されるということです。しかし、あなたは信仰を持ち続け、前に進まなければいけません。神様が与えてくれた約束をあなたが疑うように悪魔が誘惑をする時に、試練は来るかもしれません。

あなたの霊的成長は止まることがありません。神様はあなたをどんどん先の方へと連れていきたいと願っています。しかし、あなたは信じる決断をする必要があります。時には勇気が必要です。クリスチャンの人生はこのように機能しているのです。私たちは信仰の一歩を踏んでいくのです。

神様があなたの心、あなたの内なる人に語る時、躊躇なくこう言うことを学ぶ必要があります。「神様、そのようになりますように。」神様の霊、聖霊が言うことや求めることがなんであれ、あなたはそれに同意することを学ぶ必要があるのです。

しかしその代わりに、多くの人が抵抗しがちです。「いいえ。」とは言いません。悪魔は、抵抗するように言うのではなく、とてもかすかに、さりげなく彼らをつつくのです。彼らの考えにこういった質問を置くのです。「そんなわけないでしょ?どうやってそうなるの?」彼らは神様に理解できるように助けを求め始めます。もしあなたの上司があなたにタスクを任せたら、「なぜですか?」と聞いたり、説明を求めたりすることができます。

しかし、聖霊はそのようには働きません。あなたがこう言うとします。「神様、もしあなたが私に理解させてくれるなら、私は信じて従うわ。」しかし、神様はこう言うのです。「ただ従うんだ。もしあなたに理解してほしいと私が思うなら、私はハッキリとあなたにそう伝える。」神様は私たちに何も説明する必要はないのです。

神様を信じている人によくあることです。心の底、内なる人はあることを深く知っているのですが、自分の考えがそれと戦ってしまうのです。自分のことを価値がないと思っているかもしれません。なのでこう言うかもしれません。「神様はこんな私を使って、他の人の人生を変えることなんてしないわ。」神様が彼らにしてほしいと願っていることを実行できない理由を神様に伝えることで、彼らはたくさんの労力を無駄遣いしているのです。神様はすでに私たちの欠点を知っています。これからしてしまう失敗も知っているのです。それでも神様は私たちを通して働きたいと願っています。神様は、能力ではなく、どれだけ用いられるために心を開いているかを神様は求めています。

神様があなたに求めていることはかなりシンプルです。信じることです。それだけです。もし神様が語るなら、あなたはこう言うことを学ばなくてはなりません。「たとえ理解できなくても、私はやるわ。」聖書に出てくるダマスコのアナニヤの話が一つの良い例えであるように思えます。サウル(のちのパウロ)が失明していて、ある家に滞在していると神様はアナニヤに言いました。彼は行って、サウロに手を置きました。そして、神様はサウロを癒したのです。(使徒9章10-19節より)

アナニヤは怖がっていました。サウロはクリスチャンたちを苦しめる最大の迫害者だったのです。しかし、神様はアナニヤに彼の元に行くように言いました。なぜなら、その目の見えなくなった男こそ、選ばれた器だったからです。恐れていたにもかかわらず、なぜ神様がそんな大きな迫害者を”選ばれた器”として選んだのか理解できなかったにもかかわらず、それでもアナニヤは行って、サウルのために祈りました。そうして、これから使徒になる男が癒されたのです。


私たちにもこのように行動してほしいと神様は願っています。たとえ神様が求めていることが私たちの頭で理解できなかったとしても、それでも神様を信じることを選んでほしいと神様は願っているのです。


聖霊、たとえあなたの目的を私が理解できないとしても、いつも神様の約束を信じることができるように助けて。あなたが私に求めていることを達成するために信仰によって前に進めるように、もっとあなたを信頼することを学びたいわ。私がいつも従順でいることができるように助けて。イエスの名によって、アーメン。

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