
By ジョイス・マイヤー
神に対する私たちの愛ではなく、私たちに対する神の愛によって、私たちの罪へのなだめとして、神のひとり子が遣わされました。ここに真の愛があるのです。愛する人たち。神がこれほどまでに愛してくださったのですから、私たちもまた、互いに愛し合おうではありませんか。 私たちは、だれも神を見たことがありません。しかし、互いに愛し合う時、神は私たちの心の中に住んでくださり、心の中にある神の愛を、なおいっそう強めてくださるのです。 —ヨハネの手紙Ⅰ4章10-11節(JCB訳)
全ての人が、愛されたい、受け入れられたいと願っています。しかし、私たちの多くが間違った方法で愛を見つけようとしてしまいます。私たちは愛を「受け取る」ことで見つけようとしますが、本当は「与える」ことで愛を見つけられます。神様の愛は、私たちに与えられたもっとも素晴らしい贈り物です。神様の愛が私たちに流れ出したら、私たちは他の人たちへと流し出す必要があります。そうしないと、流れが滞り、淀んでしまいます。
愛は与えるものです。それは愛の性質です。ヨハネの手紙Ⅰ4章11節では、私たちが受け取った愛をどのように与えるべきかについて書いてあります。「愛する人たち。神がこれほどまでに愛してくださったのですから、私たちもまた、互いに愛し合おうではありませんか。」
神様の本当の愛の中で生きるというのはプロセスです。まずはじめに、神様が私たちを愛してくれます。そして信仰によって私たちはその愛を受け取ります。そして、バランスの取れた形で自分自身を愛して、神様に愛を与え返して、他の人たちを愛することを学びます。
愛はこの道を進む必要があります。そうでなければ愛は完全じゃないのです。私たちの中に神様の愛があるのなら、私たちは愛を与えることができます。私たちは愛を惜しげなく他の人たちに与えることを選ぶことができます。神様が私たちを愛してくれるように、深く、無条件に彼らを愛することができるのです。