“父がわたしを愛してくださったように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛のうちに生き〔続け〕なさい。” – ヨハネ15:9 JCBに一部強調
私たちの庭にある美しい木を剪定(せんてい)するべきだとデイブが判断した時のことは、決して忘れません。当時、その木は枝がボサボサに生えていて、片側に傾いていました。デイヴは「プロに任せて、整えてもらおう」と言っていたため、あまり気にしませんでしたが、家に帰ってみると、ノコギリを振り回す男性たちが私の木を破壊しているように見えたので、私は愕然としてしまいました。デイヴは、「来年まで待てば、また綺麗な木になるよ」と言いました。
でも私は待つのが嫌いな性格です。
そして、かつては豊かで美しかった木が、爪楊枝のような枝になってしまったのも嫌でした。しかし、デイブの言う通りでした。翌年になって、その木は今までにないほど美しくなり、何年も強風に耐えられるくらい強くなり、最高に豊かな実を結ぶようになったのです。これは私たちの人生において聖霊が剪定をする、完璧な例えです。聖霊が私たちの人生で剪定をする時、私たちの内側に美しさと強さという実りをもたらしてくれるのです。
ガラテヤ5章には、人間的な罪と聖霊の実がリストとして書かれています。私たちは、人間的な部分を定期的に剪定してもらい、より多くの良い実を結ぶためのスペースを確保する必要があります。私の庭の木のように、私たちは一方へ傾いたり、バランスを崩したりすることがあるため、私たちをまっすぐにするために神様に対処してもらわなければなりません。神様は私たちのことを気にかけてくれていて、私たちが最高の状態になれるように見守ってくれています。そのことに、私たちは感謝するべきです。もっと豊かで、優れた実を結ぶことができるように、定期的に神様の剪定ばさみによって、人生を整えてもらうよう求めていきましょう。
今日の神様のことば:自分を整えてもらうことは決して良い気分ではないけれど、後になってその実を楽しむことができる。