イエスこそが私の自信

イエスこそが私の自信

by ジョイス・マイヤー

肉体の一部を切り取りさえすれば、神様の子供になれるのではありません。霊をもって神様を礼拝する者こそ、神様の子供なのです。その礼拝こそが、ただ一つの真の「割礼」です。クリスチャンの誇れることと言ったら、キリスト・イエスが成し遂げてくださったわざだけです。自分で自分を救うことなどとてもできないと、よく知っているはずです。  -ピリピ人への手紙3章3節(リビング訳)

神様は私たちに対して憐れみ深く、私たちを祝福して、成功させたいと願っています。神様は私たちの心の態度とイエスへの信仰を見ています。神様と彼の愛と親切さに自信を持つ時に、自信に溢れて前に進める生き方を、神様が望む生き方を私たちは楽しむことができるのです。自信を持つということですが、自分自身に自信を持つのではなく、神様に自信を持つということです。しかしテレビに出ている自己啓発のエキスパートやアスリートのような人がよく「自分を信じろ!」と駆り立たせるので、大抵、「自信」というと、「自分の力への自信」と考えてしまいます。

失礼ですが、私の意見は違います。ハッキリとクリアにお伝えしたいです。はじめから、私たちの自信は、自分の力にでも、他の人にでもなく、世の中にでも、そのシステムにでもなく、キリストだけにあるべきです。聖書には、イエスに力を与えられて、私たちは何でも成し遂げることができると書いてあるので、(ピリピ人への手紙4章13節を読んでください。)私たちは、キリストの中に自信を持つのです。言い換えるならば、「私は自信に溢れている。なぜなら、神様が私の内側にいてくれるから。私が信頼するのは神様から来る自信。」ということです。

神様、私はよく自分が自分の能力や力や他の人、または自分がいる場所に自信を持ってしまうことを知っています。私はあなたから目を離しません。あなただけが私の自信です。アーメン

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