by ジョイス・マイヤー
私の役目は、だれもがあの方のところへ行けるように道を備えることだ。私はキリストではないと、はっきり言ったはずだよ。あの方のために道を備えるために、私はここにいるのだ。あの方はますます偉大になり、私はますます力を失う。 -ヨハネによる福音書3章28-30節(リビング訳)
洗礼者ヨハネは彼自身の召しをクリアに理解していました。たとえそれが自分の役割を小さくしていく結果でも、それを達成することに満足していました。クリスチャンとして、私たちは満足している必要があります。もし私が他の説教者のように、上手くプリーチングをすることができないとしても、私は私の出せるベストを出すことに満足する必要があります。人生の中にある神様の恵みを私たちは超えることはできません。ただ欲しいからといって、神様から賜物を受け取ることができるわけではないのです。聖霊は、神様の意思に従って、私たちに賜物を与えます。私たちは神様が与えてくれたもので満足する必要があるのです。時には、神様が何か祝福を私たちに与えたいと願っていても、まだそれを与えるタイミングではないということがあります。なかなか与えられないので、私たちはいらいらし、文句を言うかもしれませんが、神様が「今だ!」と言うまで、私たちは受け取ることはないのです。神様が与えるまで、私たちは受け取ることはありません。なので、今すでに与えられているもので満足することを学ぶ必要があります。神様、私の召しをクリアに教えてください。いま私が持っていないものが与えられないといらいらせず、私が出せるベストを出します。ただ、あなたに仕えたいです。アーメン。