私の感情(後半)

私の感情(後半)

by ジョイス・マイヤー

なぜなら、もし自分の口で、「イエス・キリストは私の主です」と告白し、自分の心で、「神はイエス・キリストを死者の中から復活させてくださった」と信じるなら、あなたは救われるのです。人は、心で信じることによって、神の前に正しい者とされ、その信仰を口で告白することによって救われるのです。
-ローマ人への手紙10章9-10節(リビング訳)

今日、神様が働いていないように私は感じるかもしれません。でもそれは真実でしょうか?それとも、ただそう感じるだけでしょうか?神様に愛されていると感じない人たちが多くいることを知っています。それはそう”感じない”という感情です。真実はそうじゃないのです。

悪魔はこの分野で強い要塞を築きます。もし感情が現実で真実であると悪魔にわたしたちを説得させてしまうなら、私たちは簡単に負けてしまいます。

何年も前のことですが、私はある教会で話をしました。多くの人が私のところへ来て、メッセージがどれだけ励まされたかを話してくれました。まだミニストリーを始めたばかりだったので私はとても喜びました。うまくいっていると感じるためにたくさんの励ましと褒め言葉を必要としていました。ある男性がこう言ってきました。「俺はあんたの言うことに同意できなかったな。神学を正しくする必要があるぞ。」そう言い残し彼は立ち去ってしまいました。

すぐに落胆が私を襲いました。人々のために神様に用いてもらえるように一生懸命になっていました。しかし、私は失敗したのです。教会を出てから、私は起きたことについて考えていました。少なくとも50人くらいは私のメッセージに励まされたと伝えてくれました。1人だけが私にネガティブな意見を伝えました。私はどのように反応したでしょうか?私はネガティブな意見を信じたのです。彼の言葉に私の考えを左右させてしまったのです。私はうまくいかなかったと自分で納得してしまったのです。

私はうまくいかなかった、なんてことはなかったのです。私は間違った声に耳を傾け、それに私の感情をコントロールさせてしまったのです。もう二度と、たった一つのネガティブな声に心を落ち込ませて、うまくいかなかったなんて感じさせることなんてさせまいと決心しました。私はその人を助けることについてはうまくいかなかったかもしれません。そして、それは私がどうこうできることではありません。しかし、私のメッセージは他の多くの人たちに触れることができました。一人の女性は目に涙を浮かべて、「自分に今本当に必要な言葉を伝えてくれた。」と言ってくれました。

その夜のことです。私が感じたものはネガティブな感情だったけれど、その感情は真実ではないということを私は自分に思い起こさせました。聖書箇所を引き始めて、悪魔は私たちが弱くもろい分野を攻撃してくることを自分に思い起こさせました。私は人前で話すことにはまだ慣れていませんでした。そして、そのネガティブな言葉を放った男性はそのことを知っていたのです。

私はローマ人への手紙10章9-10節について考えました。この聖書箇所は、人々の救いのために引用されることが多いです。しかし、この聖書箇所はどの分野においても同じ原理です。私たちは心で信じて、口で告白する必要があることをパウロは言いました。私は止まって、声に出して「神様、私はあなたに用いられていることを信じるわ。あなたのためにベストを尽くしたことを信じるわ。たくさんの人を祝福するために私の言葉を使ってくれたことを信じるわ。私はたった一つのネガティブな声は聞く必要がない。」

数分もすると、気分がより良くなりました。(これで私たちの感情がどれだけ早く変わることができるかわかりますね。)現実は変わっていなかったのですが、私が変わったのです。ネガティブで間違った考えによって現実から目を逸らされることを私は拒絶したのです。

 愛に溢れて、気にかけてくれている神様、間違った考えを持ってしまった私を赦して。間違った感情によって態度を決めさせてしまったことを赦して。イエスの名によって、私があなたの言葉を信じられるように、ポジティブな考えを持つことができるように助けて。アーメン。

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