私の感情 (前半)

私の感情

by ジョイス・マイヤー

なぜなら、もし自分の口で、「イエス・キリストは私の主です」と告白し、自分の心で、「神はイエス・キリストを死者の中から復活させてくださった」と信じるなら、あなたは救われるのです。人は、心で信じることによって、神の前に正しい者とされ、その信仰を口で告白することによって救われるのです。
-ローマ人への手紙10章9-10節(リビング訳)

「でも、私はこう感じずにはいられないわ。」アンジーは嘆きました。

私たちの多くもこう言ってしまうことが多々あります。これが意味しているのは、自分の感情はもう”固定”されてしまっていて、その感情とこれからもずっと付き合っていかなければならないと信じてしまっているのです。まるで、変えることができない現実のようになっているのです。

私たちには感情があります。時に感情は強くなり、私たちは混乱してしまいます。私たちは感情に自分の決断を委ねてしまい、あるいは、私たちの運命までも委ねてしまうのです。そのような考え方はつまり、もし弱気を”感じて”しまうと、本当に弱くなってしまうということです。もし、勝利を得ているように”感じる”と、勝利するのです。そして、もし落ち込むように”感じる”と、うつになってしまうのです。

ある人は言いました。「感情は一時的なもの。感情は現実ではない。」言い換えるなら、ただ私たちがある感情を抱いたとしても、それが現実または真実になることはないということです。ただ単にそう感じてるだけなのです。私たちは感情を超えていくことを学ばないといけません。

例えを出すとわかりやすいかもしれません。ジャネットは不動産で営業をしています。販売がうまくいくと、彼女はとても気持ちが良く、成功したように感じます。先月、彼女は5軒もの高級住宅を売ることができ、仲介手数料として素晴らしい報酬を得ました。しかし今月は一軒だけしか売ることができませんでした。すると、彼女は自分を落ちこぼれのように感じてしまいました。それではジャネットは落ちこぼれでしょうか?いいえ、違います。うまくいかない日に、そう感じているだけです。でも、それは真実ではないのです。

今日、神様が働いていないように私は感じるかもしれません。でもそれは真実でしょうか?それとも、ただそう感じるだけでしょうか?神様に愛されていると感じない人たちが多くいることを知っています。それはそう”感じない”という感情です。真実はそうじゃないのです。

続きは後半へ。

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