
霊的な成熟さのしるしとして最も見えるものは大きな信仰であると多くの人が思っていますが、私が信じているのは、もっとも真実な霊的な成熟さを試されることは、愛に歩むということです。愛による歩みによって私たちの信仰は引き上げられます。神様に信仰を持たなければ、神様と良い関係を築くことはできません。しかし、愛は信仰を行動で示し、力づけ、そして言い表します。もし私たちが神様を愛し、神様に信仰を持つなら、私たちも人を愛することができるのです。
今日の聖書箇所が私たちに教えてくれていることは、信仰は愛を通して働くということです。そして、愛とは言葉や理論ではなく、行動なのです。実は、聖書に書いてあるのですが、私たちが助けが必要な兄弟を見たとき、彼のニーズを満たすものを持っているのにかかわらず、助けてあげないのなら、私たちは愛によって歩んでいないのです。(1ヨハネ3章17節を見てください。)
イエスはお答えになりました。「『心を尽くして、たましいを尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが第一で、最も重要な戒めです。第二に重要なのも、同じようなもので、『自分を愛するように、あなたの隣人を愛しなさい』という戒めです。ほかのすべての戒めと預言者たちの命令も、この二つから出ています。ですから、この二つを守れば、ほかの戒めを全部守ったことになるのです。これを守りなさい。(マタイによる福音書22章37-40節 リビング訳)
どの律法が最も重要なのかと聞かれたイエスはこのように答えました。質問をした人々は「イエス、ただ、本質を教えてくれ。」と言いました。イエスは答えて、「わかった。本質が知りたいんだね?すべての戒めと預言者の命令に完全に従いたいということだね。それでは教えよう。私を愛して、人を愛しなさい。」とてもシンプルなのです。
イエスが人々に知らせたことは、愛に歩むことはイエスを喜ばせる人生を生 きる鍵であるということです。愛なしに信仰によって歩もうとすることは、バッテリーなしでフラッシュライトを持っているようなものです。私たちはいつも愛の充電を保っているべきなのです。そうしなければ信仰が働かないのです!
あなたへの神様の言葉です「神様は愛で、私たちがより神様を知ると、より他の人を愛するようになります。」