by ジョイス・マイヤー
食べてみれば、どんな木かすぐにわかります。 -マタイによる福音書7章17節(リビング訳)
私たちの人生(振る舞い)の実はどこからか生まれてきます。怒っている人はある理由のために怒っています。その人の反応は、悪い根を持った、悪い木から生まれる悪い実なのです。私たちは自分たちの実を観察するのと同じように、自分たちの根をしっかりと正直に観察することがとても大切です。私自身の人生に、たくさんの悪い実がありました。憂鬱、ネガティブな考え、自己憐憫、短気やケンカ腰の態度がよく発作的に起きていたことを覚えています。私は荒々しく、融通が利かない、律法的で批判的な人でした。恨みを抱いていて、恐れを抱いていたのです。そんな自分を正そうと一生懸命努力しました。しかし、どんなに自分の悪い振る舞いを取り除こうとしても、雑草のように改善したところとは違うところから2つ、3つと新しい問題が出てくるのでした。問題の根を取り除いていないので、問題が無くなることがないのです。
もし、このことであなたにも思い当たる節があるならば、まだ人生において解決されていない問題があるのかもしれません。すべてが新しく、フレッシュになるためには、その問題の根が探し出され、取り除かれる必要があります。逃げないでください。神様が私を変えることができるのならば、絶対にあなたを変えることもできるのです。
悪い木は、悪い実を結び、良い木は良い実を結ぶのです。