
悪魔は、機会があればすかさず私たちを止めようとします。私はよく、歩こうとする幼い子どもの例えを使います。私たちは子どもに対して、初日から立ち上がって、大人のように部屋の反対側まで歩くことを期待していません。幼い子供たちはよく転ぶものです。時には、彼らは泣きますが、彼らはいつも立ち直ります。これは生まれつきの特質からかもしれませんが、私が思うに、そこで両親が「できるよ!頑張れ!立ち上がって、歩いて!」と応援しているからだと思います。
この光景は、霊的な分野でも同じと言えます。私たちみんなが失敗して転びます。しかし、私たちが励まされるなら、私たちは立ち上がり、もう一度挑戦します。もし励まされないなら、私たちはそのままの状態に落ち着いてしまう傾向にあります。そして、次また立ち上がるのに長い、長い時間を待たなければいけないのです。
悪魔のしつこさを甘く見ないでください。あなたをつまづかせるためなら何でもします。もう立ち上がらないようにするためにあなたに罪悪感を感じさせようとします。あなたが良い考えを持って、間違った考えを拒否すると、悪魔の策略は終わってしまうことを悪魔は知っています。明確な考え方から、あなたを遠ざけようとしています。失望と罪悪感を通して、あなたの邪魔をしようとしているのです。
シンディーがしたことはこれです。彼女はローマ人への手紙8章1節を3枚の紙に書いて、1枚は鏡に、1枚はパソコンに、もう1枚はダッシュボードに貼りました。彼女はその聖書箇所を見るたびに、声に出して読み上げました。「こういうわけで、今やキリスト・イエスに属する人は、有罪の宣告を受けることがありません。」
8章2節ではこのように書いています。「なぜなら、いのちを与える御霊の力[この力を、キリスト・イエスは私に与えてくださいました]が、罪と死の悪循環を解放してくれたからです。」
私たちはイエス・キリストにあって自由です。悪魔の、自分を責めさせるような囁きは聞く必要がないのです。私たちが失敗する時(これからも絶対失敗する時はありますが)、そのような時があったとしても、それは私たちが失敗者というわけではありません。失敗はします。すべてを完璧にできるわけではないです。だからと言って、それは私たち自身が失敗者という意味ではないのです。
「あなたの弱さの中でイエスをあなたの強みにしてください。あなたが弱さを感じている日々に、イエスをあなたの強さにしてください。」
イエスキリスト、あなたの名によって勝利を祈ります。私が失敗した時、あなたが赦してくれることだけでなく、あなたが罪悪感や自責の念を取り去ってくれることを思い出させて。私の感謝を受け取って。アーメン。