効果的な祈りは熱心な祈りです。しかし、この”熱心な”という言葉の意味を私たちが勘違いしてしまうと、祈りの前に何か強く感情的に興奮しなければいけないような感覚を持ってしまいます。強く、感情的に祈らなければ、効果的な祈りではないと思ってしまうのです。時には、祈っているときに、涙が溢れてくるなど、とても大きな感情を体験します。しかし、ほとんどの場合には感情的にならず、泣いたりすることもありません。私は祈りには真剣です。しかし、普通の感情以外の強い感情は感じません。感情の強さで祈りが効果的であるかどうか計るべきではありません。私は昔の私を思い出します。神様の存在を感じることができるときはいつも祈ることを楽しんでいましたが、何も感情的なものを感じないとき、何かが間違っているのではないかと考えていたのです。後になって学びましたが、祈りは感情に基づいているのではなく、私たちの心で知っていることに基づいているのです。
また、ヤコブの手紙5章16節には、”正しい人”の熱心な祈りには、大きな力があると書いてあります。これは、罪責感を感じていない人、つまり神様との関係と祈りの力に自信を持っている人を意味しています。決して、”人生になんの欠点のない人”を意味していないのです。
ヤコブの手紙は、さらに進むとエリヤのことを話しています。エリヤはいつも完璧というわけではありませんでしたが、神様と強く繋がっている人でした。彼は力強い祈りを祈っていたのです。彼は神様を愛していて、神様の思いを知ろうとしていて、彼の人生にある神様の召しを成し遂げたいと願っていました。しかし、時には彼は人間らしい弱さに負けそうになったり、神様の思いと召しから逃げようともしました。多くの面でエリヤはあなたや私に似ています。1列王紀18章では、天から炎を降らせ、神様の命令によってバアルの預言者450人を殺し、エリヤはとてつもない力の中で行動していたのです。しかし、その直後の1列王紀19章では、エリヤはイゼベル王妃を恐れて逃げています。ネガティブになって、落ち込んで、死にたいとも思っていました。私たちのように、エリヤは感情に左右されていたのです。
ヤコブは、神様との正しい関係を持っている男性、女性のように、大きな力が働く効果的な祈りを祈るように私たちに教えています。さらに、私たちと同じような人間らしい人でしたが、それでも力強い祈りを祈っていたエリヤについて語っています。このヤコブが語ったことは、私たちには十分な聖書的な励ましです。「私たちは弱いから、欠点があるから力強い祈りは祈ることができない。」という疑いに打ち勝つための十分な力を与えてくれています。