「心に満ちているものが口から出てくる。」とイエスは言いました。その言葉を考えると、ドロシーに深く同情を感じます。彼女は、批判的な、厳しい考えで頭をいっぱいにさせてしまうことを悪魔に許してしまっていたのです。彼女は自分についてはあまり話していませんでしたが、他の人に対するのと同じくらい、彼女が彼女自身に対して批判的な考えだと私は感じ取りました。そうして彼女は話すたびに、口からは悪い言葉が出てくるのでした。
「木は、その実で判断される。」とイエスは言いました。それは私たちの人生も同じです。すべてのことが考えから始まります。ネガティブで不親切な考えで頭がいっぱいになるのなら、それが行動や言動になります。悪いものに根付くなら、悪い実を結ぶのです。
人々を見ていると、彼らの人生の実は簡単に見ることができます。良い実か悪い実のどちらかを結ぶからです。それだけシンプルなことなのです。その実とは、内側で起きていることの結果なのです。口から出る言葉が愛で溢れていて、他の人のために行動していけばいくほど、私たちの考えも愛で溢れて、親切になっていくのです。
もし私が、神様が私を本当に愛してくれていると信じるなら、もし毎日神様との関係を楽しむのなら、私は自分の心に良い種を植えていることになります。良い種を植えれば植えるほど、良い実を結んでいくのです。親切で愛に溢れた考えを持てば持つほど、周りの他の人を親切で愛に溢れた目で見るようになるのです。
「心に満ちているものが口から出る。」親切、または批判的な言葉はただ出てくるわけではないのです。それらの言葉は、私たちの考えの中で満たされるので出てくるのです。聖霊のポジティブで愛に溢れた考えに自分自身がオープンになればなるほど、私たちはもっと祈ります。神様の言葉を読めば読むほど、内側からより多くの良い実を結ぶのです。他の人に対する振る舞いによって、良い実は明らかにされます。
「愛に溢れて、赦しを与えてくれる神様、他の人に言ってしまったすべてのひどい言葉を赦してほしい。そして、自分自身に対して、他の人に対してひどい考えで頭をいっぱいにさせてしまったことを赦してほしい。自分の力で自分を愛に溢れるようにすることはできないけれど、あなたにはできます。私が健康でポジティブな考えにフォーカスを置くことができるように、イエス・キリストの名によって祈ります。アーメン。」