キリスト様からくる平安が、いつもあなたがたの心と生活を満たすようにしなさい。そうすることが、キリスト様の体の一部とされたあなたがたの責任であり、特権でもあるからです。また、いつも感謝していなさい。-コロサイ人への手紙3章15節(リビング訳)私たちがNOと言うべきと感じる時に、私たちはその理由を必ずしも言う必要はありません。多くの場合、人々は私たちに、自分の決断の理由を求めてきます。しかし、本当は私たちはその理由を説明する必要はありません。私は神様の霊に導かれようとします。言い方を変えるなら、自分の心に導かれようとしています。時には、何かが自分に合っていないように感じる、正しくないように感じる理由が自分でも完全にはわかっていません。

しかし、私は学びました。もし私がそのように感じなら、私は周りに気に入られるために良心に逆らって進むようなことはしません。たまに私はこのように言います。「それについて平安がないわ。」または「何か正しくないように思うわ。」もしくはもっとシンプルに、「したくないわ。」が十分です。

理由があるなら、理由があるで何も問題もありません。しかし、時々、私たちは自分を説明しようとして極端な感じになってしまうと私は思います。心の声に従って、平安の中にい続けてください。必要があるならNOと言い、すべきことならYESと言ってください。

神様、あなたが私の心に与えてくれる平安にもっと敏感になれるようにして。あなたの平安に従うことに素早くなれるように、何をするにもあなたに導かれることができるように。アーメン。