“人間の理解をはるかに超えた、すばらしい神の平安…キリスト・イエスにあって、その平安はあなたがたの心と思いを静め、安らかにしてくれるのです。” – ピリピ4:7 JCB
この本の中ですでに何度も、神様が平安を通して人々を導くことについて述べてきました。しかし、これはとても重要なトピックなので、もう一度お話しさせてください。平安なしに物事を進める人々は、何をするにも成功できず、惨めな思いで人生を過ごしています。私たちは平安についていく必要があります。
今日の聖書箇所は、神様が平安によって私たちを導いてくれることを保証してくれています。例えばテレビを見ている時に、突然平安を失った場合、それは神様があなたに語っているということです。その場合、神様はこのように言っています。「その番組は君にとって良くないから、テレビを消した方が良いよ。」
また、自分の発言に平安を感じられなくなった場合も、神様はあなたに語りかけています。そんな時は、すぐに相手に謝ることで問題から免れることができます。相手にこう言うことができます。「あんなことを言ってしまってごめんなさい。赦してほしい。」神様は私たちが下すすべての決断に関わりたいと思っています。私たちの行動に対して神様が思いを知らせる方法の一つとして、神様は私たちの心に平安を与えることでその行動を承認し、また平安を取り去ることで、その行動を却下とするのです。
もし心に平安がなければ、それは神様に従っていないからです。私たちは心と生活が平安で満たされている必要があります。 (コロサイ3:15より) どんな時であろうと、心の平安を失ったら、その時していることをやめ、神様の声に敏感になるべきです。平安は私たちの心のコンパスとなり、私たちに正しい方向を教えてくれます。だからこそ、神様はこのように聖書で教えているのです。「争いを避け、きよい生活を追い求めなさい。きよくない人は主を見ることができないからです。」(ヘブル12:14 JCB)
今日の神様のことば:神様の平安に従うことで、問題を避けることができる。