by ジョイス・マイヤー父なる神の目から見て、純粋で欠点のないクリスチャンとは、みなしごや未亡人の世話をする人のことです。このような人のたましいこそ、この世で生活していても悪に染まることなく、いつも神様に対して真実なのです。-ヤコブの手紙1章27節(リビング訳)孤児や未亡人、貧困な人や虐げられている人をケアして助けるという聖書に書いてある私個人の責任についての説教を一度も聞いたことがないままで、30年間私は教会に行っていました。”他の人を助ける”ということについて、聖書がどれだけ語っているかに気が付いた時、私はとてもショックを受けました。聖書は、”どれだけ神様が私を助けてくれるか”について語っていると思いながら、私はクリスチャン人生の大半を過ごしていました。私があまり幸せに感じていなかったのもこれが原因でした。

幸せの鍵というのは、ただ”愛される”ことだけではなく、”誰かを愛する”ということにあるのです。本当の意味で、幸せになりたいのであれば、誰か愛すべき人を見つけてください。神様に笑顔になってほしいと願うなら、誰か傷ついている人を見つけて、その人たちを助けてあげてください。

誰かを助けることを決断してください。クリエイティブになって、誰かを助けるアイデアで溢れてください!”教会に行って、家に帰って、また教会に行って、でも実際には誰も助けていない”という宗教的な型から抜け出してください。ただ教会の席に座って、賛美歌を歌うだけにならないでください。傷ついている人を助けることに関わってください。

イエスの言葉を思い出しましょう。

あなたがたは、わたしが空腹だった時にも食べ物をくれず、のどが渇いていた時にも水一滴恵もうとはせず、旅人だった時にも、もてなそうとはしませんでした。

またわたしが裸の時にも着物一枚くれるわけでなく、病気の時にも、牢獄にいた時にも知らん顔をしていたではありませんか。

すると彼らは、こんなふうに抗議するでしょう。『王様。私たちがいったいいつ、あなた様が空腹だったり、のどが渇いていたり、旅人だったり、裸だったり、病気だったり、牢獄におられたりするのを見て、お世話しなかったとおっしゃるのですか。』

そこで、わたしはこう言います。『あなたがたが、これらの一番小さい者たちを助けようとしなかったのは、わたしを助けなかったのと同じです。』(マタイによる福音書25章42-45節 リビング訳)

神様に信頼しましょう。あなたはイエスに仕えていますか?イエスは、”他の人に仕えることこそ、イエスに仕えること”だと言いました。イエスがこの地上で示した生き方の模範に信頼して、必要のある人たちに良いことをする人生をあなたも生きてみてください。