「これは、能力によるのでも、権勢によるのでもない。私の霊によるのだ。…-ゼカリヤ書4章6節(リビング訳)
意志の力は、固く決意した鍛錬された人の手の中では力強いツールになります。目の前の問題に立ち向かうことを助け、ライフスタイルを調整するのを助けます。しかし、意志の力は私たちをある程度まで運んでくれますが、私たちはいつもスタミナ切れで力尽きてしまいます。では、もし、必要があるときに自分の意志の力ではなく、神様に目を向けたら何が起こるでしょうか?神様があなたに力を注いで、色々な方法で勝利に導いてくれるでしょう。そうなると、あなたはポジティブな変化のために活気づけられるのです。しかし、その結果は意志の力ではなく、神様から来るのです。イエスはヨハネによる福音書15章5節にて、「わたしを離れては何もできません。」と言っています。イエスが命を投げ出してまで私たちに与えてくれた人生を心から楽しみたいのなら、これは私たちが学ぶべき最も重要で、最も難しいレッスンの一つです。私たちが神様ではなく、何かや誰かに目をむけてしまうなら、神様は傷つき、私たちは失敗してしまいます。神様が建築責任者になっていただかないのなら、家を建ててもむだなのです。(詩篇127篇1節を読んでください。)私たちは、神様に重労働をしてもらうように学ばなければいけません。私たちの選択肢を活気づける力を神様から与えてもらいましょう。運動することも、食べ過ぎることも、私たちの選択次第です。しかし、完全勝利は私たちの選択だけでは不十分なのです。意志の力と決断は私たちに始めさせますが、途中でその意気込みはなくなってしまいます。神様は決して途中でやめません。世の中には自力で成功したと主張する人たちがいます。しかし、もし私たちが彼らについていくなら、彼らは大抵の場合、結局はダメになってしまうのです。神様は、私たちを神様なしでうまくいくように創っていません。それに気付くのが早ければ早いほど、私たちは良くなっていきます。
まず神様に関わってもらうように求め、重荷を背負ってもらいましょう。神様と続け、神様と終えましょう。人生の重荷が重いように感じたらどうするべきでしょう?イエスは言いました。「重いくびきを負って働かされ、疲れはてている人たちよ。さあ、わたしのところに来なさい。あなたがたを休ませてあげましょう。」(マタイによる福音書11章28節を読んでください。)
神様を信頼する。:問題を乗り越える必要があるときに、あなたはまず誰に、何に目を向けますか?それが何であれ、そこにあなたは信頼を寄せているのです。どんなことでも、どんな時でも、神様に信頼を置くことを選んでください。