手に入れる、ではなく、受け取る

手に入れる、ではなく、受け取る

by ジョイス・マイヤー

また、願い求めるものは何でもいただけるのです。なぜなら、私たちは主に従い、主に喜ばれる行いをしているからです。 -ヨハネの手紙Ⅰ3章22節(リビング訳)

私たちはよく人に何かを「手に入れた」かどうかを聞くことがあります。特に、霊的な分野のものであるときにです。「ブレイクスルーは”手に入れた”?」私たちは気になるのです。「祝福は”手に入れた”?」 神様のものを”手に入れる”というのは聖書的なのでしょうか。聖書は、”受け取る”ことについては教えていますが、”手に入れること”については教えていません。この両者の違いは、とても重要です。”手に入れる”とは、頑張って努力をして獲得するものなのです。

もし人生のすべてのものが努力を要求するなら、人生はとても疲れる、イライラさせるものになるでしょう。しかし、イエスが私たちに与えに来た豊かな人生はそのようなものではありません。違います。神様は私たちに軽い荷物だけを持って欲しいと願っています。もがいたりあがいたりすることから離れさせる恵みを持って、私たちに人生を生きて欲しい願っています。すべてのことが簡単であるということではありません。たとえ難しい物事でも、神様の存在と助けによってうまくいくということです。

”手に入れる”ということは、物事をなんでも把握しようとしたり、状況をコントロールしようとしたり、うまくいかせるために自分のやり方を押し通そうとしたり、と私たちに重荷を背負わせます。一方で、”受け取る”ということは、ただシンプルに差し出されたものを取ることです。あがいたりしないのです。シンプルに、リラックスして、私たちに差し出されているものを楽しむのです。

神様は私たちが想像できる以上にもっと多くのものを私たちに与えたいと願っています。神様は私たちの人生に祝福を注ぎ入れることを待っているのです。神様から、他の人たちから受け取る方法を私たちは知る必要があるのです。時に、神様は私たちのニーズを満たすために奇跡を働きます。しかし、多くの場合は、神様は人々を通して働きます。もし私たちが助けを求めて祈るなら、どのように、誰を通してその助けの手を伸ばすのか神様に選んでもらわなければいけません。私たちは自分にニーズがあることを恥に思う必要はありません。なぜなら、私たちすべてになんらかの分野でニーズがあるのですから。神様は私たちがもう助けを必要にしないほど完全に自立して欲しいと願っていません。

神様に信頼する:神様から何か”手に入れよう”ともがきあがいていますか?手に入れようとするのをやめて、受け取り始めてください。神様はあなたを祝福したいと願っています!あなたが求めているものを信仰によって受け取ることについて神様に信頼してください。

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