主は私の羊飼いですから、必要なものはみな与えてくださいます。-詩篇23篇1節(リビング訳)
苦しい時期の間でも、良い態度を保ち続けることができるということは、素晴らしいことで、とても重要なことです。しかし、苦しい時期が長く続くことは、神様の思いではありません。「豊かな時も貧しい時も経験した。」と使徒パウロは言っています。(ピリピ人への手紙4章12節(リビング訳)確かに私たちは人生において困難を通る時があります。しかし、神様が私たちを豊かな人生へと連れ出してくれることを私たちは期待することができますし、むしろ期待するべきなのです。
決して、神様のことを私たちに必要なものをなかなか与えようとしてくれないケチな神様であると見てはいけません。確かに、欲しい時に欲しいものが手に入らない時もあります。しかし、もしそれが起きる時には、神様は良い理由を持っているのです。もしかしたら、タイミングがまだ正しくないかもしれません。もしかしたら、しっかりと対応できるほど私たちが成熟していないのかもしれません。もしかしたら、神様はもっと良いアイデアを持っているのかもしれません。しかし、決して神様が私たちを祝福したくないということではありません。「神様は私を祝福したくないんだ。」という、その考え方はシンプルに神様の性質と矛盾しているのです。力のある考え方:神様は私の羊飼いだから、私に足りないものはない。