信仰の友達があなたがたに罪を犯した時は、一人で行って、その誤りを指摘してあげなさい。もし、相手が忠告を聞いて罪を認めれば、あなたはその友達を取り戻したことになるのです。 -マタイによる福音書8章15節(リビング訳)
デイブと私が結婚した時、私は一緒にいるには悪夢のような人でした。全てを支配して把握していたいと思っていたのです。なぜなら、そうすることが自分が傷つかない唯一の方法だと思っていたからです。それにプラスして、まずそもそも私自身、かなり攻撃的な性格だったので、過去の傷によるたくさんの心の問題と相まって、私はとてもじゃないですが、素晴らしい女性であったとは言えません。一方、夫のデイブはというと、本当に平和主義者で、一緒にいやすい人です。長い間、彼は幸せに過ごしていて、私が悪い態度を取ったとしても、特に私にたくさん言ってくることはありませんでした。おそらく、神様は私が人生で傷ついてきたことを知っていたので、デイブに余分に忍耐力を与えていたのだと思います。時に、私たちが祈って、神様を待ち望んでいる間も、神様は私たちにしばらくの間何かに忍耐するように呼ぶこともあります。正直に言うと、もし結婚した最初の1か月で、デイブが私に面と向かって話してきていたら、私はただ彼を置いて家を出て行ってしまっていたでしょう。なので、神様には計画があって、デイブがすぐに私に面と向かって話さないように彼に語っていたのでしょう。しかし、神様があなたに語っているなら、あなたは面と向かって話す必要があります。

数年後、神様はデイブに、ついに私に面と向かって話す時が来たことを示しました。デイブは私に説明しました。「あなたの僕への話し方や僕への接し方をもうそのままにさせてはいけないと神様が語ってきたよ。全てを自分の思い通りにすることはできないんだよ。変わるべきところがあるんだ。」これがきっかけで変わっていきました。時間はかかりましたが、少しずつ少しずつ、私は変わったのです。

デイブが面と向かって話してきた時、私はとても怒りました。しかし、その頃には、私はイエスから十分に愛を受け取っていて、デイブが言っていることは正しいとわかるくらい神様の言葉を知っていました。私は自分の振る舞いがまちがっていることはわかっていました。しかし、もし彼が面と向かって私に話してくれていなかったら、自分の間違いをわかっていたとしても、変わることはなかったかもしれません。なので、時には、面と向かって話すことによって、相手に良いことをもたらすことがあるのです。デイブが私にしてくれたことは正しいことでした。たとえ、私がそれに腹を立てても、デイブは神様から聞いていたので正しかったのです。このことのおかげで、今の私と私たちの働きがあります。

神様に信頼する。:面と向かって話すことは、話す側にとっても、話される側にとっても簡単じゃないです。しかし、霊的に成長するためには重要なものなのです。神様の導きに従って、神様が示してくれる正しいタイミングで、愛を持って面と向かって話してください