「わかるよ。理解できるよ。」

「わかるよ。理解できるよ。」

by ジョイス・マイヤー

この大祭司は私たちと同じ試練に会われたので、人間の弱さをよく知っておられ、ただの一度も、誘惑に負けて罪を犯したことはありません。 -ヘブル人への手紙4章15節(リビング訳)

人間として、私たちには「理解される」という深いニーズがあります。私たちは理解されないとき、孤独に感じてしまいます。誰かが痛みや傷をシェアするのに耳を傾ける時、「わかるよ。理解できるよ。」という言葉がとても心を落ち着かせる効果があることに私は気づきました。私は夫にこう言ったことがあります。「たとえあなたが私の言っていることが一つもわからなくても、ただ”わかるよ。”と言ってちょうだい。それだけでとても気持ちが楽になるわ。」

男性はきっと女性の生理を理解することはできないと思いますが、妻のその辛い状況というものに理解を持つならそれは良いことです。彼女は理解される必要があります。彼女は痛みやきつい状況の中で、孤独に感じたいと思っていません。ある日、私の夫がゴルフの試合から帰ってきました。彼は足を怪我して、患部がとても腫れていたので良い時間を過ごせたとは言えない様子でした。彼にとってその試合はとても大切だったので、私はこう言いました。「きついね。わかるよ。」物理的に何か必要があればなんでもするよ、と私は伝えたのですが、ただ、私が理解してくれたということが彼にとって何よりも助けになった様子でした。

過去には私の態度がこのようなものであった時がいくつかあります。「だからどうしたの?たった一回のゴルフでしょ。結局いつもゴルフできてるんだからいいじゃない。」この態度のせいで、口論になり、二人の間に亀裂が生じてしまったりしてしまいました。彼は私に理解してほしいと思っていて、私も彼に理解してほしいと思うのです。

私のお気に入りの聖書箇所の一つは、ヘブル人への手紙4章15節です。イエスは私たちの弱さや欠点を理解してくれる大祭司であると書いています。なぜなら、イエスは私たちと同じように試練に会い、すべての誘惑に会ったからです。しかし彼は一度も罪を犯しませんでした。「イエスは私のことを理解してくれている」と知るだけでも、私は彼を近くに感じます。そして、イエスに信頼することを助けてくれます。孤独ではなく、つながりを感じさせてくれます。

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