明日のことを心配するのはやめなさい。神は明日のことも心にかけてくださるのですから、一日一日を力いっぱい生き抜きなさい。 -マタイによる福音書6章34節(リビング訳)
かがこう言っていました。「心配とは、困難に対して、支払期限の前なのにすでに未納分の利子を払ってしまっているようなものだ。」明日の問題を今日解決しようとするのは、神様が今日あなたが楽しめるように用意してくれたエネルギーをただ奪わせてしまうだけです。心配することで、時間を無駄にしないでください!心配は、無駄で役に立たないものです。指揮者に向かって、緊張気味に「Eフラットに指が届かないんです。」と心配して伝えたオーボエの奏者のようにならないでください。指揮者はただ微笑んでこう答えました。「心配しないで。今夜の演奏ではEフラットを使う部分はないよ。」私たちの心配の多くはこのような、根拠がなく、する必要のない心配なのです。心配は信仰の終わりで、信仰は心配の終わりです。人生から心配と恐れを取り除くと、あなたは自信に溢れた人になれます。そして、それは祈りから始まります。祈りは、神様が私たちの必要を満たせるように、神様のためにドアを開いてくれます。使徒パウロは、「何事も心配しないで、むしろ、どんなことも祈りなさい。祈ることによって、神様の平安を体験できる。」と言いました。(ピリピ人への手紙4章6-7節を読んでください。)彼は、”いくつか”のこととは言いませんでした。”一つ”のこととも言いませんでした。そうではなく、”全て”のことについて祈るようにと言いました。私たちは心配する代わりに、祈るべきなのです。

神様、私は扉を開いて、私の人生の全ての分野にあなたを招待します。あなたにしか満たせないニーズが私にある。心配するのは無駄なことだとわかっているわ。今日、私は自分のニーズをあなたに委ねて、あなたに信仰を置くわ。アーメン。