するとイエスは、近くにいた小さい子供を呼び寄せ、みんなの真ん中に立たせてから、話しだされました。「よく聞いておくのですよ。悔い改めて神に立ち返り、この小さい子供たちのようにならなければ、決して天国には入れません。ですから、小さい子供のように自分を低くする者が、天国では一番偉いのです。」-マタイによる福音書18章3-4節(リビング訳)
子どもについて1つ言えることは、複雑でないということです。子どもは彼らの欲しがっているものを素直に伝えます。怖がっているときは腕に飛び込んできます。ときには、特に理由がなくとも大きなチューをしてきます。心や感情を上手に隠したりする洗練さは十分にはありませんが、結果として、彼らとのコミュニケーションは簡単で新鮮です。私たちが神様に話すときに神様が求めているのは、このようなコミュニケーションです。子どものようなシンプルさと信仰で、私たちは神様に近づく必要があります。自然と完全に親に信頼を寄せている子どものように、私たちも純真さと純粋さと確信を持って神様を信頼する必要があります。その時、私たちは神様の奇跡を体験できるのです。力が働き、変化を見ることができるのです。

神様との関係の中で、子どもじみたようにはなりたくありません。私たちは子どものようになりたいのです。神様は複雑な関係を求めていません。彼は、うそ偽りのない心と子どものような信仰を探しているのです。小さな子どもが、自分が好きな人たちに近づいていくように、私たちも神様に近づいてほしいと神様は願っています。ピリピ人への手紙4章6節にあるように、神様は私たちにどんなことでも祈ってほしいと思っています。詩篇91篇1-7節のように、恐れがあるときには神様の元に走って帰ってきてほしいのです。詩篇34篇1節のように、私たちに特に大きな理由がなくても、神様に愛情表現をしてほしいと願っているのです。そして、詩篇62篇8篇のように、神様に心を開いて、思っていることを伝えてほしいと願っています。

今日、神様を愛してください。「神様、私が純粋でシンプルな子どものような信仰を持つことができるよう助けて。あなたを愛しているわ。