出るのはため息ばかりで、食事ものどを通らない。うめき声は水のように止めどなくあふれる。恐れていたことが、とうとう起こったのだ。ぬくぬくと遊び暮らしていたわけでもないのに、災いが容赦なく降りかかったのだ。-ヨブ記3章24-26節(リビング訳)
人は多くのものに嫌悪感を感じます。しかし、ほとんどの人が嫌悪感が何をするのかに気付いていません。それは、今この瞬間から喜びを吸い取ってしてしまいます。イエス・キリストを通して神様が私たちに与えてくれている人生は、貴重な贈り物です。私たちはその人生の瞬間、瞬間を楽しむべきです。嫌悪感は狡猾で油断ならない存在です。全く嫌悪感を感じる必要がない状況でも、入り込んでくることもできます。例えば、私が顔のマッサージを受けていて、最高にそれを楽しんでいたときのことです。少しドアの方を見て、自分のジャケットがかかっているのを見た時、「ああ、今から起き上がって、ジャケットを着て、家までまた運転しなきゃいけないのか。いやだなぁ。」と思いました。その時、私は嫌悪感にまた喜びを奪わせてしまったことに気付きました。その瞬間の喜びを奪われてしまっていたのです。あらゆるタスクや将来の不確かなことに対して嫌悪感を感じ始めるたびに、神様が示しを与えてくれるよう祈って求めてください。ただ
単に人生から嫌悪感を取り除くことで、神様から来る自信でもっと溢れることができます。そしてもっと喜びを体験することを助けてくれます。
神様、私が嫌悪感を感じるものに気付かせて。それは全然気付かないうちに人生の一部になってしまうものだわ。私が喜びを持ち続けることができるよう助けて。そしてあなたが私に与えてくれた自信の中を歩めるように助けて。アーメン。