
“しかし、聖霊が生活を支配してくださる時、私たちのうちに、次のような実を結びます。…寛容 (落ち着きと忍耐) …” – ガラテヤ5:22 JCBに一部強調
時として、私たちは誰もが人生に変化を望みます。しかし全員が、望む変化を手に入れるためのプロセスを通りたいと思うわけではありません。何かのプロセスを通ることは思った以上に時間のかかるもので、必ず「待つこと」が伴います。ここでの質問は「正しい方法で待つのか、間違った方法で待つのか」ということです。もし私たちが間違った方法で待つのなら、私たちは最終的に惨めな結果を味わうことになります。しかし、神様の方法で待つのなら、私たちは忍耐力を持つことができ、待っている間も楽しめるようになります。
そのためには練習が必要ですが、全ての状況において神様に助けてもらうなら、私たちはクリスチャンにとって最も重要な「忍耐力」を培うことができます。忍耐力は聖霊の実であり、試練の中でしか培うことができません。そのため、私たちは困難な状況から逃げるべきではありません。聖書にあるように、忍耐力を培ってこそ私たちは何かに欠けることがなく、完全に満足することができるのです。(ヤコブ1:2-4より)
神様との個人的な関係においても、成長が伴います。私たちは自分の思う以上に長く待つことを多く経験することで、より深く神様を信頼できるようになります。
待つことは簡単ではないかもしれません。しかし、それはあなたをより強くさせてくれます。忍耐がもたらす益は、たとえ居心地が良くなくてもそれだけ待っただけの価値があるのです!
祈り
神様、私は変わりたいです。また、あなたとの関係においてより成長したいです。そのためには忍耐力を培う必要があるけれど、あなたが私の内側で働いてくれると同時に、私が強くなることができることを知っています。